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子平と癒し 2011/10加筆
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子平進言
● 子平と癒し 2011年10月加筆
 「占い」に対して、占う側と、占いを依頼する側との認識の差が、実際の鑑定現場で表面化する事は良くあります。占う側の間にもそもそも認識の差がありますから、それは当然と言えばそうですが、あえて「占いとは一体何なのか?」と言う事で話してみようと思います。なお、私は他の占いに対して造詣がありませんので子平のみの話に成ります。

 そもそも子平は何の為に勉強するかと言うと、自分を知る為に勉強するものです。立身出世や栄達、お金持ちになれるか等は読み取れる様なものではありません。自分は一体他人とどう言う関係を構築してどう言う対応をする人間であるのか?家庭ではどう言う親子兄弟関係であるのか?他方、対社会的にどのような対人関系を構築する人物なのか?これを客観的に語ってくれるのが「子平」と言う方法です。そしてこの対人関係を取る自分が、どう言う人生経緯を進むのかを客観視して研究して行く過程で、他人の事も読めるにすぎません。
 そこで、この他人の事を読める部分が占いと言う行為に成るわけですが、人生傾向が読めるばかりに、開運という期待感が絡まって「占い」そのものに期待をされたり、見えない未来への不安から「占い」を行い、それに対して癒しを求め、ひいてはその癒しを占う側に求められるのが、おそらく依頼される側のおよそ現実であり、一方で占う側にも少なからず、占いに癒しの役割の可能性を抱いている事は否定いたしません。私も初めの頃は何とか占いと言う行為が他人の癒しに成らないものかと思いつつ取り組んだ頃もありました。しかし、客観的に見て、その人物の運気が安泰を認めていない場合、癒しでは済まない現実が見えてきます。それが見えたならば少しでも軽傷で済む様に回避する、ここまでが神でもない人間に認められた限度と考えています。

 ここで問題は、子平の現実を御承知で無い依頼者の方が、占いに対して期待を抱いてこられる点です。多くの場合、初めから何かの良好な可能性、自分の中での期待を抱いて、そして問題は癒しを求めて居られる点です。しかし、子平が語るものは、客観視した人物像とその人物の対人関係と、その人物が辿る人生傾向でしかありません。少なくとも、これで、人を癒す事が出来るような種類のものではありません。「占い」と「癒し」とは全く別の物なのです。
 「癒し」を求められるのならば、それなりの方法はいくらでもあります。占い師のカウンセラーもどきの対応よりも専門の方に相談された方が安全です。これは多くの依頼に立ち会った経験則です。

 では、子平で癒しができないのであれば、他人の方を読むという経緯で、今後の人生の為に、子平が踏み込める領域は何か?と考えた時に、それは警鐘位しかありません。
 これは、理論と実証を重ねて来られた先賢の方の研究成果と、自ら恥を積み重ねて得た研究の中で、されど占いと侮れない部分があるからです。そこで占う側の仕事は、子平研鑽を積んで、より確実性の高い将来の可能性を把握し、問題点を曖昧にしないように、それを的確に相手に認識して頂く様にする事です。

 つまり「子平」とは、ご自身の事、それから来る将来の傾向を得心し、納得していただき、何とか運気の幅を少しでも良い方へブレの修正をする。その案内役であり、占い師と対話して癒されて満足したと言う一時の「癒し」を得る手段とは違う事に成ります。

 なお、子平研鑽の一環として当サイトでは無料鑑定を実施しておりますが、「癒しや人生へのエール激励」を求められるのであれば、上記理由により、それは子平の管轄する所とは異なりますので、その道の専門家へ相談されるようにお勧めしております。これは単に、無料であるから癒しは期待しないようにと言った考えでは無い事を誤解されませんように此処に付記いたします。
2010/11




 本来あまり自分の本音は面倒なので語らない方です、そのあたりは察してほしいと考えるタイプですが、なかなか現実はそうはいきません。今日は子平と癒しを切り離す考えに至ったもう一つの経緯をお伝えしようと思います。以下は全く私見です、他で話している事と重複する事もありますが、お付き合いください。 

 人と言う物は、およそ欲望の塊ではないかと思う事が多々有ります。欲望が生きる力なのかもしれません。我が家の犬や猫を見ていると、その時、お腹がすいて居たら食べる、人が食べていたら同じように欲しい。明日の食料の為にでは無く今の満足の為に動きます。それに対してアリやリスは、食糧を蓄えます。寒い不毛の季節を生き抜くために蓄えるとすれば、そんな事は一切お構いなしの犬や猫族は、強い生命体なのかもしれません。
 そして人も先の事を考え、その為に道具を作り備蓄します。生きる事に対してひょっとしたら人は犬や猫族よりも弱い生命体なのかもしれません。更に人は明日の事、未来の事を憂え、未来を知りたがったりします。その手立として占いを編み出したのだと思います。それ程弱い生き物が人間族なのではないかと思います。そんな人間族の中に居る私は、更に欲深く自分で未来の扉の節穴から自らの未来を覗こうと悪戦苦闘し、あろうことか、更に自分以外の他人様の未来も覗いて居るわけです。未知の未来では満足せず、知りたいと言う欲の結果が占うと言う行為故にです。

 私が占いに引き寄せられた理由は、まさに知りたい未来を会間見せてくれるからであり、従って当る事は大きな比重を占め、それが魅力でもあり、また目標と成って居ます。例えば、既に起きた事柄に対して、後から自分の理論で、解釈説明を付ける後付では満足出来ない困った性格ですから、ひょっとしたら無駄な努力かもしれないと思いつつも、今も節穴を穿って広げようとしています。

 そこで、覗き穴を削る道具の精度を高めたいなら、やはり実占勉強が大きな助けとなります。私の場合は、何ヵ所かのネット上の無料鑑定が修業の場でした。そして偶然か、精神を病んで療養中の方の依頼の多さを目の当たりにし、次第にテレビ等の鬱病関係の番組などは欠かさず見るようになり、そう言った関連の解説サイトも意識的に閲覧して居た時期が有りました。
 しかし、そうするうちにその対応の難しさを知り、これは安易な接し方は危険であるという認識を得ました。私も当初、占いに癒し効果を期待した頃はありました、ただし、占い師と依頼者の対話の中で、相手の方が何らかの気持ちの安らぎを感じられたのであれば、それはその方の受け取り方なだけであり、その方はきっと優しい方なのだろうと思います。

 占い師の本分は占いで得た結果を伝える事であり、少なくとも自分の場合は、専門的なカウンセリングの勉強をしていないと言う事を 素人カウンセリングで間違いを起さない為にも肝に銘じておくべきであると思い至り、占いとカウンセリングは別物であると考えるに至った次第です。
2011/10

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